はじめに
はじめまして。
この度はこちらの記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読まれている方は、
・登山
・ロングトレイル
・エシカル
・ご自愛
・カウンセリング
・看護師/保健師
・フリーランス
に興味がある方なのかなと勝手ながら思っております。
もしくはごく僅かな私のファンの方でしょうか。(さっそくやかましいな)
今回は謎に包まれている?私のこれまでと今後の夢についてお話しをしたいと思います。
自己紹介
名前は"白壁 彩(しらかべ あや)"と申します。
1990年に爆誕した山と自然が大好きな肺活量少なめのゆるHIKERです。
YouTubeやBlogでは山好きアピールの一環で「山彩(SANSAI)」と書かせていただいております。笑
元々は
・大学病院の看護師
・地域包括支援センターで高齢者の方やそのご家族をサポートする保健師
・NPO法人で国際協力のボランティア
のお仕事などをしていました。
不器用ながらもチャレンジ精神だけは旺盛でたくさんの場所に足を運び、数々の目を覆いたくなるような恥ずかしい失敗と挫折を繰り返してきました。
この時に痛感した
「自分を大事にできて初めて相手を大事にできる」
をモットーに生きています。
現在は個人事業主となり
・オンラインのカウンセリング事業
・登山やロングトレイルの魅力、メンタルヘルスに関する発信活動など
を行ってます。
ゆるゆると自然と共存したカラダとココロが喜ぶ ナチュラルな暮らしを日々追求中です。
病気がちで運動への苦手意識を持っていた私が、山登りにはまり、雪山や海外のロングトレイルに挑戦して独立するなど
当時は予想もしていなかった今のライフスタイルに至ったプロセスを以下に綴っています。
もしご興味のある方は最後までご覧いただけると嬉しいです。
スポーツとは無縁だった思春期
毎月山に登るほど大の山好きな私ですが、実はアウトドアとは無縁の学生時代を過ごしていました。
最初の転機は小学5年生の時に背骨がS字にねじれながら曲がる
特発性側弯症(とくはつせいそくわんしょう)という原因不明の病気を患ったことでした。
進行を抑えるためにコルセットをいつも着用し、歪んだ体にコンプレックスを抱えていました。
「姿勢が悪いからだよ。」
などと心無い声に傷つくこともあり、気づいたら自分の感情を殺しながら強がって生き始めるようになりました。
その後は成長期だったので肺を圧迫してしまい、放っておくと呼吸機能に悪影響が出てくるとお医者さんから伝えられて中学2年生の時に脊椎固定術という手術をすることに。
腰の骨を削り、背骨に沿って固定した金属の部分に合わせて移植して固定する方法でした。
今でも背骨に沿って30cmある2本の金属で固定されています。
手術自体は8時間を超える大手術で、術後は骨が固まるまでの半年間はコルセットを着用して1年間運動をすることも許されませんでした。
リハビリ後、体が自由に動かせるようになってからも体力になかなか自信が持てず、
「スポーツは自分とは無縁なものなんだ」と勝手に決めつけていました。
さらに強がりな性格から辛い時も弱音を吐くことができず、表現し難い孤独感を感じながら中学時代を過ごしました。
そんなやさぐれ中学時代を経て、高校へとなんとか進学。
しかし、心理学と医療の世界に興味を持っていたものの、ぎりぎりまで文系か理系かで進路に迷い、見事なまでに大学受験に大失敗。
闇のような一浪生活を送り、なんとか看護大学に進学した後は奨学金(給付と利子付き両方)を利用していたため元を取ろうとそれなりに頑張りました。
大学に進学してからは、看護学の楽しさに目覚めたこともあって大変なこともたくさんありましたが、大学生活もプライベートも比較的楽しく過ごせた記憶があります。
しかし大学3年の夏、体に違和感が。。
この時は微熱と共に腰からお腹にかけて痛みが止まらなくなり、サロンパスを何枚も貼って授業を受けていたものの痛くて授業どころではありません。
何より自分の体が湿布臭い。笑
なんとなく嫌な予感がして内科を受診したところ、左の腎臓が生まれつきの病気で血管が尿管の通り道を塞いでいて水腎症となり、ほぼ機能していなかったことが判明しました。
そして家族とも相談した結果、また手術を受けることに。
検査の時点からアナフィラキシーショックや膀胱鏡の痛みで失神しそうになったりと散々。
「また体の傷が増えるのか。なんでこんなきついんだろう…」
正直その時は投げやりな気持ちでいっぱいでしたが、その後少しずつ体が回復するにつれて身体が自由に動くことへの感謝の気持ちが徐々に芽生えてきました。
これらの手術体験から退院後の不自由さを感じつつも、それと同時に日常生活を送れることのありがたみを感じました。
この時、「慢性的な病いと共に生きる方々の力に少しでもなりたい」と思うようになりました。
とにかく生きることに必死だったのと無事に単位をとって卒業したいw一心で、尿管にステントをぶち込んだまま実習に臨んだりと若さで乗り切りました。
涙あり笑いありの学生生活を終えて、無事に看護師・保健師の国家試験に合格しました。
葛藤だらけの看護師生活
大学受験に失敗してからの4年間。
「絶対リベンジする!」と誓って4年越しに叶った憧れの就職先。
新卒社員説明会では気合いを入れすぎて一番に会場入りしました(笑)
いよいよ憧れの大学病院での看護師ライフがスタート!!!
…と思いきや実際は、自分の思い描いていた看護師生活とはまるでかけ離れた生活でした。
仕事は想像を絶する忙しさで毎日疲れ切って帰宅。
家は寝るためだけの場所となり家族や友人との時間や趣味を楽しむ余裕すらもなく、毎日の業務を必死にこなす日々。
患者さんの笑顔や言葉にパワーを頂きながらも、日に日に悪化していく体調。
「こんなに体調崩してまで働く意味があるのかな?」
そんな疑問を抱きながらも
「迷惑をかけるから絶対に休んではいけない。」
という謎の責任感に押し潰されそうになり、通院しながら仕事へ向かう日々。
「誰のための看護になってるんだろう?私の人生、このままでいいのかな?」
そんな負のループに埋もれてどこか煮え切らない感情を持ちながら失敗ばかりで自分を肯定できず自信を持てない日々が過ぎていきます。
「患者さんが頑張ってるんだから私も弱音なんて吐いてられない。。」
そんな気持ちを持ちつつも、次第に蓄積されたストレスが体の反応として様々な形で出てきました。
気付いたら食欲もなくなり、体重は5kg減少。
頭痛薬や胃薬、頻脈を落ち着かせる薬などを処方してもらって体に悪そうな栄養ドリンクと気合でごまかして過ごしていました。
十分に睡眠時間を取っているのに疲れが取れず、毎日明らかなキャパオーバーの業務の中でミスをしてしまわないかひやひやしながら、先輩の顔色を伺いながら生きるのに必死な日々を送っていました。
大学受験に失敗してから奮起して学生の頃から頑張ってきた分、看護師の仕事は続けたいと思い異動希望。
看護師2年目からは精神科へ配属となりました。
2年目からは看護師の業務にも慣れて精神面をケアする看護に魅力を感じながらも手から溢れそうな薬や日に日に副作用で悪化していく患者さんの姿を見て無力感と違和感を感じるようになりました。
「これは本当に自分のやりたかったケアだったのだろうか…」
もちろん薬物療法や電気療法で回復される患者さんや安定される患者さんもいましたが、
「薬だけに頼らないセルフケアをもっと勉強してみたい。」
そんな思いが拭えず、本来の人間が持っている自然治癒力やその人らしさを引き出すケアを追求するために退職を決意。
ずっと憧れていた病院で働くことを手放すのは正直怖かったです。
この時期については、かなり衝撃が大きいことが続いたのでまた自分の中で整理ができてお話しできる時に書きます。
***
当時、大学生の頃より携わっていた国際保健ボランティアの活動にも興味があり、仕事の合間に英語の勉強をしながら海外も視野にいれたその人らしさを引き出すケアについても知りたいなぁと感じていました。
「もう少し掘り下げて人間本来の豊かさや役割について知りたい。」
当時はうまく言語化できていませんでしたが、そんな思いも生きづらさを抱え続けていた当時の心境を思い出すとあったのかなあと思います。
今思うとマジでめんどくさいタイプ。(今もかw)
次の就職先への転職前は自分と向き合う時間が欲しくなり、尊敬するマザーテレサが活動していたインドのコルカタという街へ一人旅に行きました。
インドでの体験もなかなかカオスだったので、このお話もまた別の記事でご紹介しています。笑
保健師時代の気づき
帰国後は病気の予防に携わることができる保健師として地域包括支援センターで仕事を始めました。
包括での仕事は病院の臨床の現場で働いていた内容とは異なり、高齢者のご自宅に訪問をして面談をしたり、電話や来所相談を受けたり、地域の方々と交流して地域づくりを一緒にさせていただきながら延べ数百人の方々と関わるお仕事でした。
地域で生活する方々の暮らしや人生のひと時に関わる毎日様々な背景を持つ方々と関わりを持つことができて、とてもやりがいを感じていました。
しかし、複雑な家庭事情や病気により一筋縄では解決できない問題を抱えたご家庭も多くあり、無力感を感じることも多く目指したいケアとは程遠い状態で日本の高齢化社会の課題を目の当たりにしたのでした。
人の健康を守るはずの仕事にも関わらず自分が体調を崩しそうになることもあり、人と本気で向き合う保健師の仕事もココロやカラダへの負担が大きいことは看護師時代と変わりませんでした。
人生を変えてくれた山との出逢い
時は流れ保健師の仕事を始めて数か月後の2017年の1月。
山好きな当時の恋人(現:夫)が「高尾山に登ろう!」と山に誘ってくれました。
その時は体力に全く自信がありませんでしたが、持久力の必要なスポーツとは無縁な生活を送っていたこともあり不安を感じながらもなんとなくついていくことに。
当時は山登りと聞くと”思い荷物を背負って、苦しい思いをして歩く”という修行のようなイメージしかありませんでした(失礼)
しかし、自分の足でゆっくりと山頂まで登り切れた時
「こんな体力ない自分でも登り切ることができるんだ!」
ととても清々しい気持ちになれたんです。
それと同時に自然本来の匂いや空気に触れたことで自分の中に溜まっていた「何か」が浄化されていく感覚を肌で感じました。
そして自分の想像していた以上に山や自然からたくさんのパワーをもらえたことで、自然とカラダとココロが軽くなり、リラックスした状態が蘇っていきました。
「もっと他の山も登ってみたい!!!」
それからはすっかり”好山病”にかかり、毎月のように山を登るようになりました。
特に印象的だったのは、北アルプスの燕岳という山に初めて山小屋泊をした時のこと。
冷え切った朝を迎えて山小屋から出た瞬間に、一面に広がる雲海が迎えてくれました。
目の前に広がった美しい景色を初めて見た時、自然と涙が溢れて心から「生きててよかったああああああ!」と思うことができました。
その後、関東近辺から北海道、日本アルプスの山々、雪山にも挑戦するようになり、季節を問わず仕事が休みの日は天気予報とにらめっこして大好きな山へ行くという生活に変わっていきました。
そして山と出逢ったことで心にも体にも良い循環が生まれ、仕事にもプライベートにもメリハリが出てきました。
「なんだかイキイキしてるね!」
「休みの日もアクティブだね!」
仕事は変わらずハードな日々が続いていましたが、山や自然に身を置くようになってから、周りの友人からの反応もすっかり変わり、私自身の思考も前向きに変化していくのがわかりました。
山と自然に触れるようになってからは人生は大きく前向きに変わり仕事も私生活も順調そのものでした。
あの時山に登っていなかったらまた違う人生を歩んでいたのかなと思います。
ニュージーランドへの旅のきっかけ
しかし保健師の仕事を始めてから約3年が経とうとしていた頃、トラウマになる出来事が起こります。
それは自分の力では到底手に追えない日本の社会問題に触れる出来事でした。
残念ながらここでは詳しく書くことができませんが、守られるはずの方々が守られず自分たちの利益だけを優先する一部の社会に強い怒りを感じました。
コントロールのしようがない出来事に感情を整理する方法がわからず、仕事を終えて帰宅すると怒りと悔しさで気づいたら泣いている日々を送っていました。
保健師の仕事にやりがいは感じていましたが、いったん仕事を離れないと心と体が持たない状態にまで追い込まれてしまいました。
「今までのように自分の心と体の反応を無視し続けていたらきっとこの先の人生で自分のことも大切なひとのこともどちらも大切にできない人生を送り続けることになってしまう。。」
そんな強い危機感を抱き、なんとか上司に伝えた時期まで働くことを決めて退職をすることにしました。
退職後の人生を考えた時に、当時28歳だった私は周りの友人が結婚をして家庭を持つことが増えていく中で、女性としての幸せか挑戦をしたいことを選択するか迷いました。
しかし、「このままやりたいことをやらない人生を終わらせたくない。」という気持ちがどうしても拭いきれませんでした。
(当時は不器用だったのもありキャリアとの両立が考えられませんでしたが、今となってはなんとか人に頼りながら両立できると確信しています。)
そして真っ先に浮かんだのが"自然や山に癒されながら海外を長期間旅すること"でした。
様々な国の候補がありましたが、美しい山々と大自然に囲まれたニュージーランドに以前からなんとなく惹かれていました。
仕事を辞めるタイミングで『LOVELY GREEN NEW ZEALAND』という四角大輔さんらが執筆されたガイドブックを手に取りました。
この本を読み進めていく中で、ある文章が目に止まりました。
"この国はのんびりでとても不便で「なにもない」国だけれど、人がハッピーに生きるために必要な本当の意味での「豊かさ」がある。
(中略)できる限り多くの方がここを訪れ、その「大切なもの」と「豊かさ」を実際に感じていただきたいと、ぼくは心から願う”
LOVELY GREEN NEWZEALANDより引用
この文章を見た時に、
「これからの人生を生きる上でのヒントがこの国にありそう!」
と直感で感じました。
そしてNZを知れば知るほどその魅力に惹かれていき、ワーキングホリデーに行くことを決意しました。
初めての海外のロングトレイル
ワーホリでNZへの準備を進めていく中で、ご縁あってNZ最北端から最南端まで3000㎞を縦断する究極のロングトレイル"Te Araroa(テ・アラロア)"に挑戦することに。
ニュージーランドに渡航後は最北端から約1ヶ月半ほどかけて約700㎞の道のりを徒歩で縦断しました。
ニュージーランドのロングトレイルでの様子は以下の動画にも載せております。
その後は働きながらトレイルを歩いていましたが、そんな矢先に感染症の影響によりNZ政府は早期に事実上の鎖国宣言。
なんとNZでロックダウン生活を送ることに。
悔しい気持ちもありましたがテ・アラロアを歩くことは今回で中止することに決めました。
この時、挑戦をすることより挑戦を止めることの辛さを知りました。
約2ヶ月間のロックダウン生活では、久しぶりに一人の自分と向き合う時間を過ごしました。
blogで発信をしたり、インスタライブ、オンラインでお悩み相談会などをしつつも
「自分が本当に大事にしたいこと」
「どんな人生を歩みたいか」
そんなことを漠然とですが、考えるようになりました。
それは
「大事な人と美味しいご飯を食べる心地良い時間が、人生にあること」
シンプルですが、自分には欠かせない時間だなと思ったんですよね。
自分の心に余白がないと、衣食住があるありがたみや共有し合える人との時間の尊さをついつい忘れてしまいます。
そして何より孤独な時間が、心から安心できる居場所があるありがたみを教えてくれました。
当初はロックダウンが明けてからはワーホリビザを持っていたので、残って仕事をしようと思っていました。
しかし、何となく自分の役割自体がNZでの生活を続けることではない。
そんな気がして滞在し続けるモチベーションが湧かなくなっていました。
そんな矢先決定的な出来事が起こります。
このタイミングでクレジットカードのスキミング被害にあい、残高が1万円になるという戦慄ネタが起こります。笑
口座の履歴を確認すると、数時間起きに見覚えのない場所から6万円ずつ口座から引かれていたんです。
なんちゅう恐ろしさ。。
そんなパニック状態だった時に、爆笑しながら送金してくれた人が家族のほかにいたんですよね。
その人が今のパートナーであるオカピです。
こんなアホなことに巻き込まれても、信じてくれたオカピには頭に足なんて向けられないと思っています。
まじで神様。仏様。オカピ様。笑
(とか言いつつ、この前めっちゃ足向けてこの前寝てました。ごめんなさいw)
そんなこんなで海外孤独暮らしのアヤッティ状態だったのですが
「日本にも待っている人がいることを忘れないでね。」
と言ってくれてなんだかその時はもうとりあえず何とかして「日本に帰ろう」の一択でした。
結果として挑戦をあきらめる選択をして、最後まで歩き切ることはできませんでした。
しかし、あの時帰国する決断をしていなかったら今のパートナーとは一緒になれなかったのかもしれない。
そう思うと、当時の自分に花丸をあげたいと思います。(自画自賛自重)
そして、今振り返ってもニュージーランドで過ごした日々は本当に毎日が尊すぎました。
毎日ネタに溢れていて、多くの人に助けて頂きながら過ごした日々は一生忘れることのない半年間になりました。
帰国後の生活
世界中で感染症が蔓延する中、なんとかトランジットVISAをゲットして、オーストラリア経由で2020年6月中旬に日本へ帰国。
帰国後、家で何気なくオカピと食べたスーパーのお刺身と味噌汁の美味しさに思わず涙が溢れました。
「豊かさは、自分の心のあり方次第なんだ。」
大事な時間はすぐそばにあることを教えてもらいました。
見えない何かに追われ続けて、もっともっと結果を出さないとと焦り続けていた日々。
もちろんそういう時間はとても大事だし、少し無理をしてでも一定期間負荷をかけて結果を出さないと仕事にならない場面はたくさんあります。
しかし、好きな人と一緒に過ごせる喜び。
山を登れる健康な体へのありがたみ。
無事に今を生きれていることへの感謝の気持ち。
これらの気持ちが帰国後、今まで以上に強く感じられるようになりました。
そして、競争社会に生きる私たちの生活の中にある本当の豊かさは、自分の心のあり方がベースにあるのだと気づかされました。
この大事な人との時間を守りたいと感じて何とか、セルフケアを充実させて自分自身も大事な人もハッピーでいられるにはどうしたら良いか。
そして、大好きな山や自然とセルフケアの方法をリンクさせることはできないかと模索し始めました。
SNSで登山やエシカルな暮らしに関する発信を本格的に運用。
2022年1月には開業届を提出し、個人事業主としてオンライン相談室の山彩ヒュッテの運営をスタート。
これからの夢
1.夫婦で海外のロングトレイルや山を歩いて旅すること
2.自然と共存した小さなリトリートハウスを作ること
3.自分を大事にするためのセルフケア・ご自愛本を出版すること
です。
1の夢は2022年の夏に、夫の転職のタイミングでありがたいことにほとんど叶えることができました。
2の夢に関しては、ニュージーランドやヨーロッパの旅で垣間見た環境に配慮した自然と共存した暮らしに憧れたのがきっかけです。
今は仕事の関係で東京に拠点を置いていますが、ひと段落したら平屋の建物を夫の地元である北海道に作って生活をする予定です。
イメージはこんな感じです。笑
具体的には
・どこか懐かしい気持ちになれる
・自分に本来備わっている力を体感できて癒される
この二つを体感できるような、心と体を癒す小さなリトリートハウスを作りたいです。
気まぐれで地産の野菜で作った料理も一緒に提供できたらなあと思っていて、安心して体と心をケアできる場所にしていけたらと今はただただ妄想の段階。笑
今はオンライン上ですが、自分の軸で人生を歩き続けていきたいと願う方のメンターの中の1人になれたらと微力ながら思います。
そして、自分を大事にしながら表現し続けるご自愛マスターの輪が広がっていくと心の底から嬉しいです。
もちろん、山の魅力を動画や写真で共有することが楽しくてしょうがないです。
しかし、今後はメンタルや体を整えるご自愛の方法を、より具体化して発信し続けていくことにも力を入れていきたいです。
新しい一歩を踏み出すことへ不安を抱いている方々へ
最後に失敗しまくりのネタに溢れた人生を送っている私から新しい一歩を踏み出すことへ不安を抱いている方へ微々たるメッセージを送らせて頂きます。
失敗を繰り返して自分に自信が無くなってしまったり、一歩前に進むことが怖くなることがあると思います。
そんな時こそ「自分の心の声」に耳を澄ませてほしいです。
"どんなことにワクワクして心が突き動かされるのか。"
"どんなことで心や体が楽な気持ちでいられるのか。"
自分の心に正直に生きること。
そうすることで、少しずつ失敗と思っていた過去に向き合えて、これからの人生をもっとよりよいものに変えられます。
そもそも人生は失敗の連続。
自分が心の底からどんな時に幸せでいられるかを挑戦しながら知り、違和感を手放す勇気。
そのような自分自身への取り扱い説明書(トリセツ)を作っていく過程が楽しいんじゃないかなと思います。
それは決して自己中に生きたり、傲慢に生きるという意味ではなく、
自分の心の声に従うことで、本来備わっている自分らしさを取り戻すきっかけになると感じています。
「自分を大切にできて、初めて相手を大切にできる」
これが今までの経験を通して痛感した、私が考えるセルフケアの基盤であり生きる上でのモットーになっています。
現代は暗いニュースも多く、新しい時代の変化によるストレスや不安を抱えながら、毎日過ごされている方が多いのではないかと思います。
私自身もとても不安になる時があります。
しかしこういった状況だからこそ、無理に自分を奮い立たせて体や心のエネルギーを使いすぎてしまうのではなく、たまに立ち止まることも大切な時間だなと思います。
つい
「何者かにならなくてはいけない」
「まだまだ努力が足りない」
「なんて自分は不器用なんだ」
と落ち込むこともあると思います。
でも、大丈夫です。
あなたは存在してるだけで十分素晴らしい。
そして、誰1人代わりはいないし、誰もあなたには絶対になれない。
たまたま環境が合っていなかったり、自分らしさを活かせるチャンスや人にまだ巡り合えてなかっただけです。
何度も失敗していく中で自分の本来の役割を知っていく過程を楽しめること。
それこそが、生きている人間の醍醐味なのかなと思います。
まだまだ私も未熟な立場ですが、皆さんと少しでも前を向いて歩き続けていきたいなと感じています。
✳︎✳︎✳︎
それではとーっても長くなりましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございました。
(というか最後までこんな長文を読んでくださった方がいらっしゃったら、全力でハグをしたい。笑)
これからも末長くよろしくお願いします。